「夜明けの”おにぎり”」


 「夜明けの珈琲」  ハードボイルドな小説の一節か、あるいは、映画のワンシーンなのか解らないのですが、哀愁を帯びた男に似合いなフレーズだと学生時代から勝手に解釈していました。

 深夜3時半に和牛難産の連絡。K牧場までは三沢の自宅から1時間ほど。
「2時間悪戦苦闘してみたけど出せない、もう子牛はだめかも・・・」Kさんの声は疲労困憊していました。「Kさんがそういうくらいならきっとだめだろうな」と思いながら漆黒の闇にに車を走らせました。

牛舎に到着し「おはようございます」と私が言うと、Kさんと奥さんは「こんな時間にすみませんと」と頭を下げ下げ。母牛は2本のロープがかけられた前足が突き出たまま呆然と立ち尽くしていました。

さてどんな按配かな?ロープを外し、お湯で洗った後、産道に手を入れて状況を確認しました。下額に細めのロープがかかっており、90度捻じれた状態で頭部が触診できました(しかしかなり奥)。前足と頭部を一緒に産道に入れようと悪戦苦闘したのが解ります。農家としてはなかなかの技術力。
しかし産道が開く条件が整っていないため一緒に入れるのは物理的に無理だったのかもしれません。

まずは両前足を子宮の中へ押し込み、代わりに下額をつかみ産道に引っ張り込みました。

うまいことに頭部が捻じれを矯正しながら産道に入ってきました。後は両前肢を確保するのはたやすいことです。酪農協に勤務する息子さんも助っ人に参加し、総勢4人で引っ張り娩出したら、なんと子牛が生きているでわありませんか!!。

てっきりだめかと思っていましたし、介助中もピクリともしなかったのに・・・。子牛の呼吸中枢を刺激するために後頭部に水を掛けたら元気に頭をもたげました。Kさん夫妻の顔が満面の笑みに溢れ、私の疲労も一気に吹き飛びました。

「家で休んでいって」とKさんの奥様が声を掛けてくれましたが、「少し事務所で寝ておかなければ」と思い、帰ることにしました(Kさんももう搾乳する時間だろうし)。そして帰り際に奥様が「ありがとうございました」と暖かいおにぎりを2つ手渡してくれました。

うっすらと東の空が白んできた中を帰路につきました。実はその後、急患用携帯に子宮脱の連絡・・・。へろへろな心身に鞭を打ち次のエマージェンシーに向かう車中でKさんの奥さんからいただいたおにぎりをほおばりました。なんとおいしいおにぎりなんだろう。低下しかかっていた血糖値が上昇に転じ、パワーが漲りました。

無事、子宮脱も整復、処置し、見上げた空の風景です。


「夜明けの珈琲」ならぬ「夜明けの”おにぎり”」がやけに胸に沁みた出来事でした。